居場所が生まれる日
- 2018年3月7日
- 読了時間: 4分
更新日:3月7日

いよいよ、明日。 みんなの居場所「そらいろ」がはじまります。
前回のブログで日時を第1・第3木曜日と誤って表記しておりました。
正しくは第2・第4木曜日です。
日時:毎月第2・第4木曜日 13時~16時
場所:山岸5丁目公民館 ( 盛岡市山岸5丁目13−7 )
どうぞお気軽にお越しください。
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今回は居場所が始まるこのタイミングに、
さらに胸の内に居場所があったらと思った「はじまりのはじまり」を振り返ります。
それはとても個人的なことです。
決してみんなの、なんてはじまりではありません。
私の息子は自閉症という障害を持っています。
息子が生まれるまで、私はこの障がいをよく知らずにいたので、
なんとなく字のイメージから「話せない、表情を外に出せない、内に閉じこもる障がいだろうか」と思っていました。
実際は自閉症にもいろいろなタイプがあり、うちの息子は喜怒哀楽もあれば言葉も豊かです。
ただ、より本音に近い芯の部分とでもいえばいいのでしょうか。
そういう事柄を間違いなく言葉で表すことは困難なので、ことの大小を問わず急に黙ってしまうことがあります。
そしてそれは、内にこもるのではなく、苛立ちやあせり、あきらめなどの形で外に出続けます。
パニックと呼ばれる状態です。
なので、一般には発達障がいとお知らせした方がイメージしやすいかと思います。
(実際に自閉症は発達障がいのひとつにかぞえられます。)
彼はある意味、とてもまじめです。
気になる部分を丸呑みして次に進む事は耐えられません。
そうなると学校でどんなことが起きるでしょうか。
おそらくどんな方でも「やりたくないな、よくわからないな」と思いながら
「でもみんなやっているし、同じように合わせよう」という事は始終無意識に行っていると思います。
彼は、その一つ一つで「なぜやらなくちゃいけないんだ」と疑問が晴れるまで問い続けます。
それはこんなくだらない事まで?という些細な事にまで。
「やっちゃった方が早いじゃない」と普通なら当たり前に思う事まで。
つまり、つまづいてころんで痣だらけ。
そんなわけで、学業そのもの以外の困難が多すぎて、中学3年で不登校になりました。
でも、親から見れば、学ぶことは大好きで、授業の順番関係なく自学でどんどん吸収していた彼に、学業の心配というのはしていませんでした。
ただ、受験や講義という形はこの先も困難な事は予想できましたし、一般に考える就業も未だに難しい気がしています。
あまりに独自に進みすぎるのです。
さて、その学校に向かわない間、彼が何をやっていたかというとひたすらプログラミングでした。
ひたすら家の中です。
別に閉じこもっていたいわけではないのに、学校に行かなくなると、次の社会と繋がれる場所というのがないことにとつじょ気がつきます。
友達や教え教わる関係、自分以外から発生する社会の多様な広がり。
そういったことまで一度に失うのです。
学校の仕組み、仕事をする仕組み、世の中の仕組み。
その仕組みが合わないことと、居場所を失う事は別であるべきだと感じた瞬間でした。
孤立しないでいられることは誰にとっても大事です。
これは我が家でのひとつのケースですが、
様々な理由で様々な人が居場所を失っています。
「手を引いてあちこちに連れて行くけれど、冬なんか寒くて・・・」なんてお話も聞きました。
「図書館やカフェもそうそう行っていられない」
「公共の場は静かに過ごすだけになってしまう」
一人暮らしのお年寄りがその日会話したのはレジの人だけ、なんていうのもまったく同じです。
みんなの居場所はだれでもご利用いただけます。
日時は限られますが、利用料金はありません。
何をしてもいいし、何もしなくてもいい。
そんな居場所です。
どうぞ明日からはじまる「そらいろ」へ遊びにいらしてください。













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